2011年03月19日

天才!成功する人々の法則 (マルコム・グラッドウェル、訳=勝間和代)

私がはじめて"天才"に遭遇したのは、今からおよそ20年前、私がちょうど小学4年生のときである。

当時、私のクラスでは、Mr.マリックによる超能力が流行していた。テレビの中のMr.マリックは、裏になったトランプの数字を、手をかざしただけで見事に言い当て、最後に一言こう放った。

「ハンドパワーです。」

サングラスをかけ、いかにも怪しい雰囲気をかもしだし、決めゼリフまでもっていた。そんなMr.マリックのハンドパワーは、当時の小学生の間で大人気であった。小学生達は、コトあるごとに「ハンドパワーです」というセリフをマネしていた。

とはいっても、小学生のブームは熱しやすくて冷めやすい。一部のファンを除いて、クラスの中ではハンドパワーブームが過ぎ去ろうとしていた。そんなとき、このブームに乗り遅れた人が1人いた。クラス担任の小池先生である。

ある日の帰りのホームルームの後、何を思ったのか、小池先生が教室の出口を塞いだ。小池先生は3枚のトランプを用意していた。その3枚は、ハートのエース(♥A)、スペードのキング(♠K)、それとジョーカーである。これらの絵柄をみせながら、生徒に向かっていった。

「この3枚の中から、見事にジョーカーを引き当てたら、ココを通って帰っていいよ。でも、もし間違えたら列の後ろに回ってはじめからやり直し。さあ、並んだ並んだ。」

すると生徒達はワラワラと列をなした。生徒は順番に先生がもつ3枚のトランプを指差す。

「正解、通ってよし。次。ハズレ、後ろに回ってね。次。はい、ハズレ。残念でした。次。正解…。」

こんな調子で繰り返されていく。だいたい5人くらいが終わった後、"彼"の番になった。先生は毎度のようにトランプを身体の後ろに隠し、それから"彼"の前に突き出した。

"彼"はおもむろに一枚ごとにゆっくりと手をかざしはじめた。Mr.マリックがよくやる仕草である。そして、うなずきながらこう言った。

「分かりました。コレがハートのエースで、コレがスペードのキングで、コレがジョーカーです」

そう言った途端、小池先生は眼をまるくして愕いた。しばらく唖然としたあと、ふと我に返ってつぶやいた。

「す、すごい。全部正解です。ど、どうしてわかったの?」

「ハンドパワーです。」

そういうと"彼"は平然と立ち去った。

その後、"彼"のマネをして、トランプを三枚すべて当てようとする生徒もいた。しかし、三枚すべてを言い当てたのは、40人いた生徒の中で結局、"彼"ひとりだけであった。

話はこれだけでは終わらない。

翌日、いつも通りに授業が始まった。算数の時間のとき、小池先生が答案用紙をもって教室に現れた。

「これから、テストの結果を配ります。名前を呼ぶから、呼ばれた人は取りにきてください。田中くん、田口くん、…」

テスト結果を渡された生徒達は、お互いにみせあってキズを舐め合っていた。ある生徒が例の"彼"に向かって聞いた。

「オイ、テストはどうだった?ちょっとみせてみろよ」

そういって、半ば強引に"彼"の答案用紙を奪って、テストの点数を調べた。すると、その生徒の動きが止まった。

「ひゃ、百点じゃねえか...。す、すげー。き、昨日もトランプのカードを全て当てたし、算数のテストも満点だ...。お、おまえ、もしかして、天才じゃねえの?」

すると”彼”はヘラヘラ笑いながらいった。

「ははは。別に天才なんかじゃないよ。」

途中で言葉をさえぎりながら、生徒がひとり叫んだ。

「いや、オマエは天才だ。絶対にそうだ。じゃなきゃ、トランプのカードが全て解るはずないし、テストで満点なんてとれるわけがない。スゲー。こんなところに天才がいた!!!」

こうして”彼”の天才という噂が学校中に広まった。

果たして、ホントウに”彼”は天才なのだろうか。気になる方は続きをどうぞ。

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ人気ブログランキングへblogram投票ボタン
「天才」と一言でいっても、いろいろな「天才」があるだろう。そのイメージするところは人によってマチマチだと思う。本書で紹介する「天才」は、「ビジネスの世界で人並み外れた成功者」のことを指している。ただ、日本語のタイトルでは「天才!」となっているものの、英語のタイトルは "outliers" であり、英語のタイトルの方が本書の内容をよりよく表現している。"outlier"とは、ある集団から異常に外れてしまった、いわば特異値のことを指す。その意味する範囲は広く、良い方にも悪い方にもどちらに外れても "outlier" となる。"outlier"の中でも、良い方向へ外れた人のことを 「天才」と呼ぶ。本書で紹介される "outlier" には、なにも人だけでなく、集団や国民性にまで言及したものまである。従って、本書の内容としては、「天才」というよりも、「アウトライヤー」と言った方が適しているだろう。とはいっても、"outlier"をうまくいい表す日本語訳がなかなか無いため、本書のタイトルとおりに「天才」と訳してもいいのかもしれない。

では「天才」と呼ばれる人々が如何にしてそう呼ばれるだけの才能を築いていったのだろうか。「天才」というとまずはじめに思い浮かぶのが、「IQの高い人」である。しかし、IQが高ければ高いほど成功するかというと、そういうわけではないことを、本書は実例を交えながら紹介する。著者がいうには、「圧倒的な成功」をおさめるには、"努力"と"環境"の2つが大切である、と説く。以下に努力と環境について、それぞれまとめてみた。

まず、努力について。

「努力」というと、「努力しつづければ必ずできる」と肯定する人もいれば、「努力しても無駄だった」と否定する人もいる。どちらも抽象的な表現であるため、どちらが正しいかを見分けることが難しい。そんな努力について、本書では明快な一つの指標を提案した。それが、「1万時間の法則」である。著者によれば、プロの演奏家やスポーツ選手さらには研究者まで、それぞれの分野で活躍するためには、それなりの練習や勉強といった努力が必要である。その中から、さらに一流と呼ばれるためには、最低限必要な努力の時間が1万時間である。

1万時間と言われても、パッと思いつくような数字ではない。そこで仕事時間に換算して考えてみよう。勤務形態にもよるが、標準的な勤務時間は1日8時間で週5日間といわれている。勤務時間中でも、休憩したり、昼食をとったり、ボーっとしたりと、実際に仕事をしていない時間もけっこうあるかもしれない。しかし、1日のうち、なんとか8時間程度は集中して仕事に取り組んだとしよう。これを週5日続けると、1年間でおよそ2000(二千)時間となる。この計算では、土日以外に仕事をしない日が15日間だけ許される。日本では1年間の祝日が15日程度であるため、ここで換算した時間は有休をとることなく勤務日には毎回8時間集中して仕事をした場合に相当する。それでも1年間仕事をやって2千時間にしかならない。1万時間に達するには、この努力を5年間も続ける必要がある。つまり、毎日一生懸命に仕事をして、それを5年間やりつづけて初めて一人前と呼べるのであって、2〜3 年続けただけでうなくいかないのは、それは努力が足りないだけといえる。

じゃあ、1万時間の努力を続ければ、必ず超一流になれるかというと、そうではない。これはあくまで1つの条件である。超一流となるためには、この「一万時間の努力」の他に、「環境」という条件が必要である。それをここでは格好つけて「マタイ効果」と読んでいる。呼び方はともなく、以下に「環境」が及ぼす影響についてまとめてみる。

ここでいう「環境」とは、家庭や文化、および地域社会やその歴史のことを主に指す。次の著者の言葉を引用してみる。

人間は各自が異なるパーソナリティを持っている。だが、各人の個性のなかには、それぞれの地域社会の歴史によって受け継がれた、極めて独特な傾向や前提や行動様式が積み重ねられている(p.232)

例えば、 言語を考えてみるとわかりやすい。私が今、こうやって流暢に日本語を使いこなすことができるのも、先人達が日本語を使い、発達させ、それを我々子孫に伝承してきたからである。このとき、日本語の伝承とともに、文化の伝承も気づかないうちに行われている。同じ日本語でも、大阪弁、京都弁、東北弁と、それぞれの方言があり、こういった方言にはその地域独特の習慣が備わっている。多少語弊があるかもしれないものの、私の印象を述べると、大阪弁はキツいことをストレートにずばっといっても許される雰囲気があり、京都弁は相手に不快な想いをさせないようにウマいこと受け流す印象があり、東北弁は自然の厳しさに正面から忍耐強く向き合ってきたような愛嬌がある。世界の標準語といわれている英語をとってみても、イギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語、インド英語とを比べた場合、発音や単語のニュアンスなどが国ごとによって全然違う。

こういった習慣なり文化なりといった「環境」が成功者にとってのひとつの要因として作用している。つまり、超一流といわれる人々は、本人の努力に加え、その努力に基づいた才能を伸ばす「環境」が合わさることで、凡人から逸脱した存在となりえるのだと、本書は主張する。その証拠として、カナダのアイスホッケー選手になるための必要条件、アジア勢が数学に強い理由、学力格差の原因を、見事にこの「環境」要因にて説明する。特に、日本人が欧米人と比べて数学が得意な理由のひとつとして、「数字のヨミが短いから」という説明にはウナった。例えば、14の発音を日本語と英語で比べた場合、「じゅうし」と「フォーティーン」とでは、日本語の方が発音時間が短く、記憶しやすい。これに加え、日本語や中国語および韓国語では、10進法に基づいて数字のヨミが並んでいるので理解しやすいが、英語では11(eleven) や 12(twelve) にみられるように、必ずしも規則的ではない。

本書をまとめると、凡人と比べて良い方へと外れた「天才」や、悪い方へと外れてしまった「変人」のような「outlier」達は、本人の1万時間にもおよぶ「努力」と、その才能を伸ばす「環境」の2つがそろって初めて創りだされる、という仮説である。日本では、「努力すればいいってもんじゃない」だとか、「努力するだけ無駄だ」といった言葉をときどき耳にする。確かに、「努力」を続けても「環境」が揃わないと報われない可能性はある。しかし、「1万時間の努力」をしないと、スタート地点にすら立てないことは肝に銘じてもよいだろう。そして、「1万時間」というのは、平日に1日8時間とりくんで、それを5年間続けてはじめて到達する域である。自分の「努力」がこの時間を満たさなければ、人から「努力が足りない」といわれてもしょうがない。

最後に、冒頭で述べた"彼”について話を戻そう。この"彼"とは、小学校4年生のときの私のことである。そして残念ながら、私は「天才」ではない。というのも、「トランプのカードをすべて当てた」ことと、「算数のテストで100点をとった」ことには、きちんとした理由がある。

まず、「トランプのカードをすべて当てた」のは、先生がトランプを後ろに隠すときにカードの数字が見えたためである。それを普通に当てても面白くないので、もったいつけて、Mr. マリックのマネをして、言い当てたように振る舞っただけである。言ってしまえば、ただのイカサマにすぎない。

次に、「算数のテストで100点をとった」のは、「たまたま」である。私はもともと算数が得意だったので、普段から算数のテストは80点から100点の間をウロウロしていた。そして、その日は偶然100点だっただけである。しかも、その日に返された苦手な社会のテストは60点であった。もし、私が「天才」であるならば、社会も理科も国語もすべて100点をとっていたはずである。こういった理由があるにもかかわらず、周りが勝手に誤解して「天才」だなんて騒ぎ立てるものだから、他人の意見や評判がいかに当てにならないかを私はこのとき実感した。

この経験から私が得た教訓を以下に紹介して終わる。

「天才」とは、他人が描く幻想である。 by lhflux

天才!  成功する人々の法則天才! 成功する人々の法則
マルコム・グラッドウェル 勝間 和代

講談社 2009-05-13
売り上げランキング : 2837

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

------ lhfluxの評価 ------
総得点 (15点満点) : 13 点
内訳
文章 (1-5) : 4 点, 内容 (1-5) : 4 点, 感動 (1-5) : 5 点
-----------------------------------

プロローグ ロゼトの謎
第1部 好機
第1章 マタイ効果
第2章 一万時間の法則
第3章 天才の問題点 その1
第4章 天才の問題点 その2
第5章 ジョー・フロムの3つの教訓
第2部 「文化」という名の遺産
第6章 ケンタッキー州ハーラン
第7章 航空機事故の"民族的法則"
第8章 「水田」と「数学テスト」の関係
第9章 マリータの取引
エピローグ ジャマイカの物語
解説 勝間和代


↓↓書評ランキングはこちら↓↓
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ人気ブログランキングへ
blogram投票ボタン
posted by lhflux at 11:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ビジネス書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。