2011年01月12日

これからの「正義」の話をしよう (マイケル・サンデル)

総得点 (15点満点) : 13 点

内訳
文章 (1-5) : 5 点, 内容 (1-5) : 3 点, 感動 (1-5) : 5 点

「アフリカの恵まれない子供達に募金をお願いしま〜す!ご協力、お願いしま〜す!」

とある日の昼下がり。三歳の息子と駅に向かっていると、向こう側から声が聞こえてきた。女子中学生と思わしき数十人が一生懸命、声を張り上げて募金を呼びかけている。長いこと続けていたのであろう、その声も少しカレはじめている。寒い外でもコートを羽織り、息を白くしながらもガンバっている。

それをみて、自分の心の中から天使の叫びが聞こえてくる。

一生懸命な若い学生の前を平然と過ぎ去る大人に、自分はなりたくない。まだコトをよく理解できないであろう息子にも、困っている人を助ける自分の姿を日頃から見せてあげたい。そして、募金箱をもつ彼女達にも伝えたい。日本にも困っている人を見ると助けてくれる大人がいるんだよ、と。たとえ、ちょっと下心がありそうだとしても…。

「これでアフリカの子供たちも幸せになれるといいな」なんて思いながら財布に手を伸ばそうとした。そのとき、ふと、以前に読んだフォーリン・アフェアーズ・リポートのある衝撃的な記事を思い出す(書評記事にはかいてないが、この号にある )。その記事にはこうあった。

アフリカを先へと進めなくしている大きな要因は援助そのものだ。資金援助によって政治腐敗を助長し、その結果、アフリカは植民地支配から脱して長い時間が経っているのに、経済的に進歩するどころか、後退している。("なぜ援助では貧困を緩和できないのか"より)

多少文脈は違うが、意味としてはこのようなものである。つまり、この寄付金によって、アフリカを救うどころか、むしろますます窮地に追い込んでしまう可能性があるのだ。

さて、このときあなたならどうする??

1. 何もせず、そのまま通り過ぎる。
2. 募金をする。
3. 援助が貧困を助長することを女学生に伝える。
4. その他 (なにかあればコメント欄へどうぞ)


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上で述べた問いのうち、はたして、正しい行為というのはいったいどれだろうか。正義感が強い人というのはどういう行動をとる人のことを指すのだろうか。そこで本書の登場となる。

本書は、タイトルにもあるように、「正義とは何か」という問いについてまとめた哲学の本である。本書によれば、「正義」とは「道徳」であり、自分の中にある道徳観によって、何が正しいかが変わってくるのだそうだ。みんなが得をすればいいじゃないか、という功利主義に始まり、自由を求めるリバタリアニズム、古代の哲学者イマヌエル・カントへと話しが進んでいく。カントの主張をひと通り説明した後は、著者のマイケル・サンデル氏の意見がだんだん多くなってきて、話しも政治哲学へと深入りしていく。それと共に、私の理解の範疇を越え、話しは遥か彼方へと逝ってしまった。そう、途中から私にはよく分からなくなってしまいました。結局、私が辛うじて理解できたことというのは、究極の正義というのはまだ存在していない、ということくらいである。

ということで、私が理解できた範囲で、上に述べた募金の問題について考えてみたい。ポイントとなるのは、功利主義、リバタリアニズム、カントの3つである。以下、順に簡単に説明してみる。

まずは、功利主義について。

功利主義は、最大幸福原理ともいうらしく、簡単にいえば、みんなの得が最大になるようにする、という考え方である。これを上に挙げた例で考えてみよう。もし私が募金すれば、女学生は「ありがとうございます」と喜んでくれるだろうし、その笑顔を見て私も満足するだろう。ただ、このお金がアフリカの人々へと寄付されてしまうと、アフリカの人々は逆に被害を被る危険性が高い。そこで、この女学生達の先生が募金で集めたお金をこっそり着服したとする。すると、先生はお金が欲しかったので得をするし、女学生達もアフリカの貧しい人たちのために一生懸命やったという満足感が得られるであろうし、私も彼女達の笑顔をもらって喜べる。さらにこれらのことは、日本で勝手にやっていることで、アフリカの人々にとっては全く何の影響がない。その結果、全体を合わせて考えてみると、みんなが得をしている算段となる。これが功利主義的な考え方であろう。

でも、いったいソレってどうよ、と思う人は次のリバタリアニズムかカントの思想に近いかもしれない。

リバタリアニズムは、直訳すると自由至上主義となる。このリバタリアニズムでは、どの人間も自由への基本的権利 ー 他人が同じことをする権利を尊重するかぎり、みずからが所有するものを使って、みずからが望むいかなることも行うことが許される権利 ー を有する(p.80) と主張する。上に挙げた例でいえば、お金の所有者である私が、そのお金を募金に使おうがどうしようが、そんなものは私の自由であって、募金したければ勝手にすればいい、となる。同じ理由で、女学生達は自分たちが募金活動をしたいからやっているのであって、それを私がとやかく言う筋合いは全くない。そして、募金で集めたお金はアフリカに寄付するのであって、その寄付されたお金をアフリカの人々がどのように使おうが、それもまた自由である。つまりリバタリアニズムでは、募金にしろおこずかいにしろ、その使い道は所有者が自由に決めることができて、誰もそれに口出しする権利はない、という考え方になるのであろう。

うーん、それっていいような気がするが、何か足りないんだよなぁ。そう思った人は、最後に残ったカントの思想はどうだろうか。

カントの理論で基盤となっているのは、人間は理性的な存在であり、尊厳と尊敬に値するという考え方である(p.137)。カントによれば、どんな人間でも、人間はみな尊敬に値する存在である。なぜなら、人間は合理的に推論できる理性的な存在であり、自由に行動し、自由に選択する自律的な存在でもあるからである(p.141 一部改)。自由な行動とは、自律的に行動することだ。自律的な行動とは、自然の命令や社会的な因習ではなく、自分が定めた法則に従って行動することである(p.143)。

といってすぐに理解できるほど、カントの理論は簡単ではなさそうである。このカントの理論を上の例で考えてみるとどうなるか。例えば、私が募金したとしよう。このとき問題になってくるのが、私の募金した理由である。その理由が、「子供にいいところを見せようと思った」とか、「女学生にいい人だと思われたいから」といったような、他人の評価を気にすることをカントは否定する。なぜなら私がとった行動は、自らの考えで行った自律ではなく、他者に依存した他律となるためである。一方で、「募金することでアフリカの貧困層をさらに苦しめるくらいなら、他人にどう思われようと私は募金をしない」と自らが合理的に判断し、その自分の推論に沿って行動することが、カントのいう自律的な行動ではないかと、私は思う。

カントの理論をもうすこし見てみる。

カントは嘘をつくという行為に非常に厳しい。嘘は不道徳な行為の最もたるものとしてやり玉に挙げられている(p.172)。この「嘘をつかない」という行動に例外はない。

上の例を拡張して考えてみよう。自分が募金をせずに通りすぎようとすると、ある女学生に次のように詰め寄られたとする。

「どうして募金してくれないんですか!たった10円でも、アフリカの子供が救えるんですよ!あなたたち大人は困っている人を助けようとは思わないんですか?」

このとき、女学生達に募金することでアフリカの貧困層をますます追い込んでしまうという話をして、相手を傷つけるようなことはしたくない。こういった、ちょっと大人な対応を迫られたとき、なんて答えるだろうか。財布をもっているのに「いや、ちょっと財布を家に忘れてきてしまってんだよね」とか、募金していないのに「さっき、あっちでもう募金してきたんだよね」とウソをついてごまかすこともできる。しかし、カントによれば、どんな状況でもウソをついてはいけない。

そこでウソはついてはいけないので、すまなそうな顔をして「電子マネーのスイカだったらあるんだけどねぇ。」と言ってみる。こう言われた女学生は、私が小銭をもっていないと勘違して、「あ、そうでしたか。すみません」と引き下がる。カントによれば、この私の行為は許される。なぜなら、誤解を招く表現をしたとしても、私はウソをいっていないし、女学生が勝手に勘違いしただけだからである。

まさに詭弁である。詭弁であるかもしれないが、でも、私にとってカントの理論は腑に落ちる。たとえ詭弁だと言われようとも、どんなときでもウソをつかないという信念の方が、自分に対しても、そして他人に対しても正直だと私は思う。私はカントの主張にかなり共感する部分が多いものの、著者のサンデル氏はカントの主張に対しても否定的なようだ。でもそんなサンデル氏の反論について、残念ながら私はほとんど理解できなかった。まだまだ修行が足りませんナ。

さて、あなたは道徳観についてどう考えますか。本書を読めば、自分の道徳観を見直すきっかけになるかもしれない。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
マイケル・サンデル Michael J. Sandel 鬼澤 忍

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第1章 正しいことをする
第2章 最大幸福原理―功利主義
第3章 私は私のものか?―リバタリアニズム(自由至上主義)
第4章 雇われ助っ人―市場と倫理
第5章 重要なのは動機―イマヌエル・カント
第6章 平等をめぐる議論―ジョン・ロールズ
第7章 アファーマティブ・アクションをめぐる論争
第8章 誰が何に値するか?―アリストテレス
第9章 たがいに負うものは何か?―忠誠のジレンマ
第10章 正義と共通善


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posted by lhflux at 19:02| Comment(5) | TrackBack(0) | ノンフィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
別の考え方で、いい方法かは、わからないけど書きたいので書いてみます。
とりあえず、その場は、募金をします。
しかし、その行動は、アフリカにとっては、逆に良くないことかもしれないです。そこで、その後に自分でアフリカにとって良いことをします。そうすれば良くないことと、良いこと両方をすることになるので、プラスマイナス0になるかもしれないです。
それか、他の募金する人を止めます。止めるというのは、その場で中学生たちに募金をしようとしている人たちを止めるのではなく、あとからでも、アフリカに募金するのはよくないかもというのを何らかの手段を使って、人に教えたり広めたりするということです。そうすれば、本当は、募金するかもしれなかった人がやめるかもしれないのでそれで募金の数全体から見れば自分のやったことはあまり影響がないことになるかもしれないです。
要は、この場合だと、あとからその分をカバーすればいいんじゃないかということです。(大変かもしれませんが)


Posted by 高校一年生男子 at 2011年01月13日 15:49
高校一年生男子 様:

貴重なご意見、どうもありがとうございます。
あとからリカバリーすればいいというのは、本当にその通りだと思います。アフリカの人にとって何が本当にいいことなのか、私にはまだわかりませんので、まずはいろいろな視点で見れるよう心がけています。

高校一年生男子さんの、「とりあえず、その場は募金する」という意見にものすごく興味をもつのですが、もしそういった心境を言葉で説明できそうでしたら、ぜひ、聞きたいです。
Posted by lhflux at 2011年01月13日 19:52
「とりあえず、その場は募金します。」の「とりあえず」は「一応」の意味で書きました。
申し訳ないのですが、書いたときは、深くは考えていませんでした。しかし、そのときのことを思い出して、もう一度深く考えてみると、たぶんこんな感じだろうと思うことがあるので書いてみます。

まず最初に、募金をするとどうなるか、しないとどうなるかを、パッと考えました。

募金をする。 中学生→○ 子ども→○(少なくとも悪いことにはならない) アフリカ→?(よくないかも)
募金をしない。 中学生→× 子ども→×(三歳だから、よくわからないが、少なくとも良いことにはならない) アフリカ→?(悪い影響を与えないかも)

ここまで考えて、アフリカのことはよくわからないから、募金をしたほうがいいのかな?と少し思いました。しかし中学生もアフリカも、相手が人なので、どっちにすべきか迷いました。自分の場合ここで思考が追い込まれました。

でも、募金をしなかったら、そのあとで中学生や子どもに何かをしても遅いことに気が付きました。「今、チャンスを逃したら、後はない」みたいな感じ?になりました。
というわけで結果、「募金をしたほうが良い要素が多いので一応、とりあえず募金しよう」となりました。
つまり、あとで良い結果になるという確率が高そうな方を選んだということです。

だいたいこんな感じだったと思います。よく考えて書いたつもりですが、ブログにコメントするのは初めてだったし、説明したり文章を書くのは自信がないので(いままで東大に入った人がいないレベルの高校で国語のテスト半分以下!)あいまいな表現が多くなってしまったのと、長くてわかりにくかったと思うのですみませんでした。

話は変わりますが、自分ももうすぐ書評ブログみたいなのを、作りたいと思っているのでよかったら見に来てください。ありがとうございました。


Posted by 高校一年生男子 at 2011年01月18日 21:23
なるほど、思考の過程まで、すごくよく理解できました。「今、チャンスを逃したら、後はない」というのがかなり説得力がありますね。どうもありがとうございます。

私もいまだに文章が上手にかけませんが、書評ブログで試行錯誤を続けていると、ちょっとはマシになったような気はします。ブログを始めたキッカケも、自分の文章のヘタさを改善しようという心意気ではじめました。高校一年生でそういう心意気を持てることは、すごく尊敬します。

ブログサイトが完成したらそこへのリンクを貼っておきますので、そのウェブアドレスをメールか、twitterか、ここへのコメントのどれかで教えていただければ助かります。共にがんばりましょう。
Posted by lhflux at 2011年01月19日 06:18
以前『これからの「正義」の話をしよう』でコメントをした者です。

だいぶ時間がたってしまいましたが、ようやく書評サイトを作ることができました。

まだ、自信を持ってみせることができない状態ですが見ていただけたらうれしいです。よろしくお願いします。

http://koredetaiteiumakuiku.blog96.fc2.com/

Posted by FISATTO(高校一年生男子) at 2011年02月15日 21:02
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