2010年12月04日

下流の宴 (林 真理子)

総得点 (15点満点) : 14 点

内訳
文章 (1-5) : 5 点, 内容 (1-5) : 5 点, 感動 (1-5) : 4 点

まさか自分の息子が、中卒になろうとは考えてもみなかった。中卒の息子を持った母親ならみんなそう思うであろう。中卒があたり前の、中卒の親なら話は別だろうが。

ごく普通に育てたつもりだ。塾を強制することもなかったし、ゲームを取り上げたこともない。有名教育評論家の本に書いてあることをなるほどと思い、土日だけ時間を決めてやらせるようにした。朝ご飯は必ず食べさせ、日曜日には博物館や美術展に連れていった。

しかし息子は、地団駄を踏みたくなるような子どもであった。小学校中学校になっても、意欲や好奇心というものがまるで希薄なのだ。先生から言われたとおり宿題はするが、それ以外に、自分で図鑑をめくったり、人に聞いたりすることもない。

本書の主要な登場人物である由美子の言葉である。夫、娘、息子の4人家族で、息子の翔は高校を中退し、アルバイト生活をしている。現代でどこにでもあるような、いわゆるごく普通の一般家庭ともいえる。小説では、母親である由美子の苦悩と、息子である翔の心情という、母親と息子の両方からの視点で描かれており、家庭内の問題を驚くほど上手に再現している。上で引用した部分に、なにかしら感じるものがある人にとっては、本書をおススメしたい。

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親は子どもにアピールする。

何かあるたびに、自分が子どもにためにどれだけのことをしたか力説する。それもこれも、子どもがいい大学にでて、いい職業について、いい人生を過ごすためにやってきたのだと。

しかし、そんな親は驚くほど、自分の子どもの心情を理解していない。子どもはいろんな形で親に何かを訴えてはいるものの、その訴え方がうまく言葉で表現できないので、真の意味を理解することがなかなか難しい。一方で、なぜか子どもの方が親のことをよく理解しているから不思議である。以下に、本書にでてきた親の目線と子どもの心情を簡単に紹介してみる。

まずは、母親である由美子が娘の可奈に向かって発した言葉から。

「あなただって翔だって、子どものうちからピアノを習わせた。翔はすぐにやめちゃったけど、とにかく習わせたのよ。だからあの子、男の子だけど、バイエルぐらい弾けるはずよ。子どものためのクラシックコンサートだって行ったし、夏は毎年、劇団四季の子どもミュージカルを見に行ったわよね。二人が小学生の時は、三年続けてハワイ旅行もしたわ。お正月は百人一首をして、家中でテレビの討論番組も見た。パパがよく新聞読んで、世界で何が起こってるか解説もしたじゃないの。翔はね、ちゃんと私立の中学にも合格したのよ。ちゃんとしてればね、ちゃんとしたうちの、ちゃんとした子どもなのよ。」

これに対する娘の可奈の感想は以下のようなものだ。

「子どもの時は、ハワイに連れていってやった」
と口にするけれど、それも大層安いパック旅行であったと記憶している。早朝に現地に到着するので、ひと休みする間もなく、すぐにビーチに行かされたものだ。


どうして子どもがこのような感想をもつのだろうか。由美子は自分の母から受け継いだ考えをそのまま子どもに教えている。そこで、由美子の母が由美子の息子である翔に発した言葉をみてみよう。つまり、おばあちゃんから孫への言葉である。

「翔ちゃんの死んだおじいちゃんは、みんなからとても尊敬された優秀なお医者さんだったのよ。翔ちゃんのお母さんだって、子どもの頃から優等生でね、地元の国立大学を出ているのよ。お父さんだって、早稲田の理工じゃないの。世の中には遺伝子っていうものがあるの。」

こういう言葉は子どもにとって次のように伝わる。「あなたは私たちから受け継いだ優秀な遺伝子をもっているの。あなたが成功すれば、それは私達の遺伝子が優秀だったという証明になるの。だから、がんばっていい大学にでて、いい職業について、いい人生を過ごしてね。」

これを素直に信じた子どもは次のように考える。

「そうか。勉強ができるかどうかは子どものときにすでに決まっているんだ。なら努力してもムダじゃん。努力しているヤツってかわいそうだよね。だって優秀かどうかはもうすでに決まっていて、なにをやっても優秀になんかなれないのに一生懸命やっているんだから。なんか努力ってイヤだよね。」

そして、世の中のいう"優秀"だとか"いい大学"だとかに入れなかった子ども達の何人かは、かすかな抵抗をみせ、次のように考える。「アルバイトでも結構、楽しくやっていけるし、このままでも十分幸せで、いい人生じゃん。なんで大人はそのことをわかってくれないんだろう。」由美子の息子である翔はそのことを必死に訴えてきたものの、最終的には親に理解されることを諦めている。

そんな二十歳前後の若者をみて大人達はいうのである。

「まあ、なんて覇気がないんだろう。まだ二十歳だけど、死んでるのね…」

私の育った環境は、小説に登場した翔とかなり似た状況である。やりたくないピアノを習わされ、なんの面白みもない博物館に連れていかれ、なんの解決もうまない討論番組を見せられ、頼んでもないのに勝手な解説がはじまる。挙句の果てに、「世の中で一番大切なのはお金じゃない。お金をたくさん稼ごうだなんて、はしたない人間の考えることだ。必要な分だけあれば十分だ」といっておきながら、家ではいつも"お金がない"という話で夫婦ケンカがはじまる。

そんなわけで、この小説を読んでいると、とても他人事とは思えない内容であった。ほんの一歩間違えれば、自分も翔と似たような人生を歩んでいただろう。しかし、私は翔とたった一つだけ異なる部分があったので、彼とは違って人生をもっと楽しむことができている。そのことを今まではうまく言葉で説明できなかったけれども、ある一冊の本を読んでようやく頭の中で整理がついた。その本が、「やればできる」の研究(リンクは書評)である。本書を読んで何かしら思うことがある人は、併せて読んでみてソンはないと思う。

下流の宴下流の宴
林 真理子

毎日新聞社 2010-03-25
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posted by lhflux at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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